当時、私は東京都品川区西大井にある小さな会社に勤務していました。
のちに離婚はしましたが、元夫は同じ職場の人で、会社の顧客は鉄道会社でした。
当日職場についたとき、職場の人がみんなテレビにくぎ付けだったのを覚えています。
仕事中も、テレビは消せず、仕事も進まず、同僚の家族からは、出勤しているかと確認の電話が来ました。
地下鉄使っていなくても、家族にしてみれば不安だったのだと思います。
今、40歳以下の人は、当時の記憶など無いでしょう。
まだ、インターネットも携帯電話も個人の生活には入り込んできていなかった、1995年3月。
Windows’95の登場は、その年の11月。
それまでは、テレビや、新聞からしか情報は入ってこなかったのです。
ポケベルは有りましたが、スマホですぐに連絡が着くような状況ではなかった時代です。
これが日本なのか?と思いました。
人がどんどん倒れても、助けに行けない。
路上に苦しんでいる人がたくさん倒れている。
聖路加病院では、担ぎ込まれた患者がロビーにあふれている。
まさに戦時中のような光景が、テレビから流れてくる。
敵が誰なのかもその時点では判っていない。
見えない敵への恐怖。
当時、32歳で結婚間近の私には、恐怖しかなかったです。
その年の1月に、阪神淡路大震災があったばかりの日本で、平和が壊れてゆくというのを目の当たりにしました。
たった30年前のことです。
その後、5年ぐらいで個人でも携帯電話を持つようになり、自宅にパソコンを持っている人が増え、さらにスマホの登場でどこにいても世界とつながるようになりました。
でも、その繋がりって、ビニール袋に入った液体を電車内で傘で一突きしたら、あっという間に崩れてしまうような幸せなんです。
人と人のつながりが希薄になって、スマホの中に情報ため込んで、親子も夫婦も、相手が誰と何してるのかよく判らなくなってしまった今、便利さを手放して、人としてやるべき事をリアルに感じて、情報交換して、確認すべきなんじゃないのか?と思います。
言葉にするとうまく言えないですが。
何が悪かったのかも、言葉で説明はできない。
でも、30年たった今でも、あの時の恐怖は忘れられないです。
戦争の語り部で生きている人が少なくなったように、地下鉄サリン事件を知っている人が語っていかなければ、事件の恐ろしさは伝わらないんだろうなと思います。
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